SFM Field Column

東口ヴィレッジ
「K’s cinema」のふたりが語る、
街と映画の記憶

80年代新宿の夜と映画人の青春

配信もなければ、レンタル作品も限られていた1990年代から新宿の映画文化を支え続けてきた二人、「K’s cinema」の酒井正史さんと家田祐明さん。それぞれの20代は、映画と新宿という街と深く結びついていた。今、二人が振り返るその時代の息づかいと、街の変化について。

「映画を観るのに、覚悟がいる時代がありました」。

そう語るのは、ミニシアター『K’s cinema』で現在顧問を務める酒井正史さん。新宿三丁目にある『K’s cinema』は、元々『新宿昭和館』という名画座が前身だ。昭和館時代は任侠映画やピンク映画を上映し、地下には成人映画館があった。
2004年、老朽化による建て替えを機に現在の姿になり、かつての “ちょっと怪しげな雰囲気” の名残はもはやない。かつての面影を失ったのは新宿も同様で、酒井さんと、番組編成を担当する家⽥祐明さんに、二人が20代を過ごした80年代〜90年代初頭の新宿について尋ねると、まず返ってきたのは「暗かった」という言葉だった。

酒井さんが大学進学で上京した1979年頃。学生運動の熱は冷め、若者の流れは渋谷や原宿へ移っていたという。
酒井さん(以下、酒):「渋谷はタケノコ族でにぎわっていて、フラットでお気楽な空気。でも新宿は怖かった。特に南口あたりは街灯も少なくて、本当に真っ暗。新宿で映画を観るのは、若者にとってはちょっと勇気がいる行為でしたね」
一方の家田さんは1989年に上京。映画好きが高じて自然と新宿へ足を運ぶようになったという。
家田さん(以下、家):「単館系の映画館で、地方じゃ絶対観られない作品が普通にかかっている。それだけでワクワクしました」
酒:「1989年当時の新宿は、歌舞伎町を中心に大型館が立ち並び、洋画の超大作がオールナイトで何回も上映されることも珍しくなかったんです。1000席クラスのキャパで、立ち見でぎゅうぎゅう。初日は一晩で1000万円なんて当たり前の華やかな世界でした」

そんな映画全盛の時代に、二人がこの業界に足を踏み入れたきっかけは意外とシンプルだ。
家:「アルバイトで映画館に入れば映画がタダで観られる。それが最初の理由でした(笑)」 そのうちに、作品を届けることの面白さに目覚め、今に至る。
酒:「お客さんが上映後に『ありがとう』と言って帰っていく。こんな恵まれた仕事はないと思いました。好きな仕事は職業にしちゃいけないとか言いますけど、ナマケモノの自分は好きじゃないと続かないんですよね(笑)」
家:「うちで上映する映画は、制作に何年もかけてやっとできるようなものも珍しくありません。そんな思いの強い作品の晴れの舞台を演出できる喜びもあります」

二人に20代で受けた大きな影響を尋ねると、共通して出てきたのは2004年に閉館した『中野武蔵野ホール』の名前だった。
酒:「20代ぐらいの時に『中野武蔵野ホール』ってところにいました。『追悼のざわめき』という自主映画が大ヒットして、中野のミニシアターでそういった結果を得られたことは今でも糧になっています。だから今でも大手がやらない作品を取りこぼさないように、うちのような小さな劇場には 可能性があると感じています。大きな恐竜が食べ残したものを、小さな哺乳類が食べるように(笑)。体が小さいからこその生き残る道があると思えたんです」
家:「私も20代で『中野武蔵野ホール』に勤めていてそこで酒井さんに出会いました。なのでミニシアターならではの強みは私も感じていて、小さいなりのやり方がある。それは今も変わっていません。それに、K’s cinemaのロビーでは映画人同士が交流して、次の作品に繋がったり。

それは映画館冥利に尽きます」 新宿の風景は変わったが、映画館のロビーに人が集まり、物語が生まれる場所であることは、昔も今も変わらない。


新宿は80年代の暗がりから明るいシネコンの街へ

1980年代の新宿は、今の明るいイメージとはまるで違ったようだ。
酒:「僕が20代の頃だと、東口あたりはもうすごかったですよ。転がってるブロン液の瓶なんて、しょっちゅう見ました。南口なんて真っ暗でね。階段を上がってくると、ここは戦後の焼け跡かと思うくらい。砂利に掘っ立て小屋みたいな飲食店があって、怪しい看板が並んでましたね」
そんな新宿に変化の兆しが見えたのは、90年代に入ってからだ。
家:「やっぱり『高島屋』と『Flags』の登場ですよね」
酒:「そうそう。東南口ができた頃から一気に綺麗になった。それまでは甲州街道なんて、ほんとに真っ暗だったんですよ」

街並みが整備されると、人の流れも変わる。暗がりが多かった新宿に、 少しずつ安心して歩ける空気が広がっていった。そして、街が変わると映画館のあり方も変化した。
家:「80年代、90年代の歌舞伎町には、映画館がたくさんあって、単館系もメジャー系も、劇場ごとに特色があったんですよ」
酒:「それがシネコンの登場によって、様変わりしました。今は “大きなイベントを打って、一気に消費する” っていうスタイルになった気がします。映画が “商品” になった印象ですね」

それでも、新宿には映画館が生き残る理由がある。
酒:「新宿って、映画館もあれば飲み屋も、本屋もレコード屋もあって、全部が徒歩圏内。文化が凝縮された街なんですよ。映画を観て、すぐそこの飲み屋で語り合える。この便利さは新宿ならでは。それに幅広くいろんな人がいるから、作品選びに幅を持たせられる。逆に “お客さんを選ばない” 映画館でいられるのは、受け皿の広い新宿ならではの良さですね」

だが、一方で危機感もある。
家:「僕らが20代の頃は、とにかく映画が好きで競うように映画を観てた。でも今の10代、20代にとっては、映画館以外の別の遊び場所が増えていることは映画館側としては正直、怖いですね」
酒:「シネコンで大作を観るのはイベントとして楽しい。でも映画の本質は、もっと多様な作品に触れることだと思うんです。僕の20代もそうでしたが、社会問題を抱えたドキュメンタリー作品などを通じて、自分の偏見に気づいたり、世界を広げたりできる。今の映画館は、選択肢が画一化しすぎている気がします。もっとグラデーションがあっていい。僕らは細々とでも、その “違うアプローチ” を守りたい」

新宿であれば、それができるかもしれない。新宿で映画館を続ける二人の言葉には、街と映画に対する確かな愛情があった。


インタビュー音声は、
Podcasts『新宿クロニクルで配信中!
Spotifyアイコンをクリック!

K's cinema
お客様に"心地良い時間と空間を"というコンセプトをもとに新宿に誕生したミニシアター。84席と可愛いサイズの劇場ながら、ロビーをはじめとした、館内すべてがゆとりのスペースで設計されている。
酒井正史
K’s cinema 顧問
新宿・ミニシアター「K’s cinema」支配人を経て、顧問に。
1980年代から映画興行に携わり、国内外のインディペンデント作品を数多く上映。
映画文化を守り続けている。
家田祐明
K’s cinema 副支配人
「K’s cinema」の番組担当も務める。
酒井さんとの年の差は8年ながら、盟友として同シアターの興⾏に⻑年貢献。
上京時、初めての映画体験は新宿の映画館で観た利重剛監督『ザジ ZAZIE』。
HP X(旧twitter)

上へ戻る