SFM Field Column

西口ヴィレッジ
「I am 新宿」
ヴィヴィアン佐藤の
新宿DIG DUG!

「I love 新宿」、そして「I am 新宿(わたし自身が新宿)」。

新宿のあらゆる深部を知り尽くした非建築家、ドラァグクイーンのヴィヴィアン佐藤が掘る新宿の文化地層。着々と姿を変える新宿駅西口の再開発風景を眺めつつ、西口カルチャーについて語っていただきました。

坂倉準三建築『新宿駅西口広場』

渋谷駅前に続いて新宿駅周辺も大規模な改修事業が始まっているわ。小田急百貨店が入っていたビルも完全に消失。この辺りで最もシンボリックで目を引くのが、西口広場ね。いまでは当たり前の光景だけれど、地下二階から地上階まで吹き抜けの巨大スロープが駅前にあるなんて。設計はル・コルビュジエに師事した坂倉準三(担当は東孝光)。1965年に淀橋浄水場が廃止され、その翌年1966年に西口広場は完成。それから浄水場跡地にはたくさんの高層ビルがニョキニョキ立ち並んでいくわ。1960年後半から70年にかけての新宿は日本で最も激動なエリアだったみたい。1968年には新左翼による新宿騒乱、1969年にはフォークゲリラ。フォークソングを歌うベトナム戦争反対派の若者と機動隊がぶつかり、逮捕者が続出したの。この頃の模様は、若松孝二監督の一連の作品や、ピーター主演『薔薇の葬列』、大島渚監督『新宿泥棒日記』、そして「美は乱調にある」といったイケメンのアナキストを描いた『エロス+虐殺』などで見ることができるわね。1998年には日雇い労働者などのダンボールハウスの火災があり、ダンボール村は解散したわ。新宿駅西口から南口にかけての工事は2040年代に完成予定で、西口広場は歩行者優先の空間になるようね。坂倉の描いた巨大スロープは姿を消す。ラッパーのZeebraとSPHEREは坂倉準三の孫で、坂倉の子孫たちには音楽的才能がある。かつてフォークソングが鳴り響いたこの街で、20年後もそれらが新宿にこだましていて欲しいわね。

西口広場写真

新建築社写真部

ヴィヴィアン佐藤
アーティスト、作家、映画評論家、非建築家、ドラァグクイーンなど。青森県七戸町をはじめとした地域のイベントをディレクションするとともに、日本各地でヘッドドレスワークショップも開催。大正大学客員教授。
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